アーカイブ・ブームの波に乗って、この処「ヨイトマケの唄」についての取材が多い。高度成長が達成され、やうやく人並みの生活が現実となった昭和40年という年は、今の人々にとってリアリティのある近過去
なのかもしれない。つい先日もNHK・BSの4月の特集に「昭和40年」を取り上げるので、「ヨイトマケ」誕生の秘話を聞かせてほしいとクルー5人が取材に軽井沢までみえた。高速道・新幹線ができ、人間から機械に主役が移り、一方で出稼ぎや集団就職もあたりまえにあったあの時代に生まれるべくして生まれた歌が「ヨイトマケの唄」だったと思う。勿論そこには美輪明弘という非凡な才能と個性があり、久し振りに電話をかけた時、電話の向こうでアカペラで歌ってくれた彼の情熱がなかったら、プロデューサーの僕にも刻み込まれなかっただろう。放映に際し3分のワクに7分の唄を押し込むことは大変だったが、放送後のすさまじい反響にむくわれた思いだった。あの頃からご近所は疎遠になり家族は崩壊し、モラルをうしなった今日の社会の予兆があった。ヨイトマケは五木の子守唄とともに九州から生まれた名歌である。
ヨイトマケの唄
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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