色褪せたカンソウリ

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消費税導入議論のタイミングを間違い、戦後保守政治転換の絶好のチャンスを取り逃がしてしまったカンソウリ。薬害エイズ患者への謝罪などでいさぎよい正義の印象があつたのだが、このところさっぱりである。「小沢さんが会ってくれない」といかにも政権に未練たっぷりの後ろ髪では魅力半減。とくにいちぢるしく違和感を感じたのはカンソーリの夏休み、どこかで見たような丸太のテラスで読書中まではよかったが、軽井沢ときいてエエッと声をあげてしまった。自分が軽井沢に住んでいることは棚に上げ、市民運動家として国民の支持を得てここにいたったカンサンにもっとも相応しくないのが軽井沢である。実際にはつまらない郊外都市に成り下がり、アウトレット・オンリーのリゾートで、決してかっての高級避暑地ではないのだが、イメージだけは不動産屋さんのお蔭でエリートを保っている。カンソーリにしっかりした参謀がついていたら、軽井沢には決して行かせなかったろう。田中角栄、鳩山さんで手垢のついた軽井沢で夏休みとは最悪の選択。奥秩父、白馬山麓、高尾山、白川郷、九十九里と新しい首相にふさわしい夏休みの地はいくらでもあった筈だ。年金未納で四国お遍路めぐりの巡礼姿はあまりにも奇をてらいすぎて不評だつたが、この夏の休暇はミーハーすぎて、国家の行く末を考えているといわれても信用できない。官にからめとられて手も足も出ないカンといわれているが、かつて市民運動家であったあの頃のエネルギーをもう一度思い出して欲しい。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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