足にさわった女

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 今年の心の墓銘碑は、映像の師である市川崑監督だ。大学卒業の年1952年「足にさわった女」の作家として意識した。戦後の貧しさの中で「ナイロンの靴下」はアメリカ文化と女性のお色気の象徴であったそんな時代。列車で並んで座った男と女スリから物語が始まる。女スリのナイロンの靴下が、男のズボンにふれる、女スリは宝塚出身のあの越路吹雪、モダンな映像と冴えたカットの積み重ねにノックアウトされた。あくる年新東宝の監督面接をうけたのだが、並みいる大監督の前で、「好きな監督は?」と聞かれ「市川崑」と答えたところ「ああ、あの変人か」とあしらわれ、悔しい思いをした。
 1961年パリ・ムーランルージュから帰国したとき、有楽町の映画街には「黒い10人の女・市川崑監督」とあった。プロデューサー風松吉が関係した10人の女たち(岸恵子、岸田今日子、山本富士子、中村玉緒ほか)それぞれの生きざま恋愛観が描かれた人間喜劇、軽妙にして洒脱、痛烈な人間批評に満ちた作品だった。「細雪」「忠臣蔵四十七人の刺客」いづれも愛人から女房になった和田夏十の脚本だったが、市川崑監督こそは僕の中の最後の映像作家であった。 合掌


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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