峰岸徹六本木に死す

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 ワイドショウで「大スター峰岸徹さんが亡くなりました」ちょっと待ってくれ。、当時六本木族といわれた大原麗子、加賀まりこには、大がついてもいいが、演技不全の彼に大をつけるのは皮肉としか思えない。 米兵の町だった六本木の中華料理店で知り合った少年少女が心中して果てる笹沢佐保の小説「六本木心中」演出のおり、彼の名も出たが賛成するスタッフはひとりもいなかった。
 ハンバーガーイン、ニコラス、香妃園そしてキャンティが出来たあの頃、彼は六本木のお姉さん方のペットであり、単純な遊び人だった。
 陸軍の町から米兵の町になり、やがてジャズ・マンのたまり場、若者の遊び場は、バブルとともに日本一のディスコ・トゥーリアとなり、御立ち台の破廉恥を日本中に輸出した。
 反道徳のメッカとして今日を迎えた六本木は、今ヒルズとミッドタウンと国立美術館に化粧直しをしたが、化粧のしたは日本人堕落の歴史でもある。あの町で青春し、役者稼業から逃れられなかったひとりの男峰岸徹に時代の悲しさと皮肉が交錯する。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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