人間国宝岩田藤七家の嫁であった岩田糸子さんが亡くなった。洋画からスタートとし結婚後ガラス工芸家として日本と世界で活躍してきた稀有の才能を持った人だった。
出会いは50年前、ベニスのドウカレ宮殿ため息橋のほとりのゴンドラである。僕は巴里ムーラン・ルージュでの一年間の仕事の帰途、彼女は2年前から始めたガラス工芸のヨーロッパでの受賞々金を使うためにベニスにいた。「ねぇいっしょに乗らない」若い彼女の色香に圧倒され、ゴンドラでの道行となった。船頭はやたらに気をまわして恋歌ばかりを歌う。花をかざしてともに唱和する彼女はイタリア娘のようであった。 船をおり広場の前のカフェ・フローリアンで恋を語り、ムーア人の時計塔に登り、ムラーノ島まで連れて行かれた。
「私の恋人なのよ」国立劇場のロビーで偶然あっても大きな声で紹介される。多分彼女には沢山の恋人がいたことだろう。ガラスを愛し、歌舞伎を愛し、舞踊を愛し、そしてファッションを愛した彼女は、まれに見るスケールの大きな芸術家であり、国際人だった。ご冥福を。
岩田糸子さんを悼む
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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