谷崎潤一郎、夏目漱石、有島武郎などに多くの影響を与えた作家オスカー・ワイルド。詩人にして、劇作家、小説家でもあった彼は1900年パリ6区のホテルで、梅毒による脳炎で他界した。彼の墓がパリ最大の墓地ペール・ラシェーズにある。ワイルドの詩ザ・スフィンクスをテーマに造られた彼の墓は、男性の裸像が彫り込まれた2メートル以上にも及ぶ立派な墓だが、この墓が無数のキスマーク、ベニの色も生々しい唇の押印に彩られている。もとは性器も露わに造られたそうだが、世論の反発の前にイチジクの葉が被せられ、ようやく公開された。ところがある日、彼を信仰する学生たちが墓地に押し寄せ、イチジクから性器を解放、はずみで一番大事なパーツまでもいでしまった。そのパーツの欠けた墓にキスマークが襲来しているのだが、男色作家として耽美と退廃のなかに世紀末の思想を塗り込めた彼に大変相応しくもある。英国で上演禁止になった「サロメ」や、「ドリアングレイの肖像」は孔雀の羽根で飾られた彼の部屋から生まれた。「心は老いて生まれ、若くなっていく、それが人生の喜劇。体は若く生まれ、老いていく、それが人生の悲劇」ワイルドの警句である。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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