ナチュリストの石井好子さん

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 日本のシャンソン界の大ボス石井好子さんが亡くなった。どのニュースにもモンマルトルの名門クラブ「ナチュリスト」で歌い、と書かれていたのであまりにもパリッ子の認識と違うので少しばかり本当のことを書いておこう。1959年から1960年にかけてピガールのナチュリストで石井好子は唄っていた。あの頃のナチュリストは、夜になると客引きが外でお上りさんを誘い込むそんな怪しげなクラブだった。呼び物は「お尻クイズ」。3,4人のオーケストラならぬ楽隊が煽ってファンファーレが鳴る。赤いカーテンがさっとひかれると、厚化粧の踊り子たちの顔だけが浮ぶ。リズムに乗ってウインクをし、投げキッスをして、踊り子たちは客にアピールする。やがてライトが消え、ややあって再びライトが付くと今度は「お尻」がずらり並んでいる。お尻はグラインドし、突き出され、煽情的にうごいてライトアウト。司会がでて始めの顔とお尻のつながりを当てさせる。当れば踊り子がキスしてくれる。エロと笑いのうちに終わって幕が引かれると、石井好子が歌うという寸法だ。金曜日の夜は素人のお尻比べがあった。ドレスを着て直立不動でうたう芸大出身のこの歌手はワイザツな舞台の雰囲気に合わず、彼女も内心忸怩たる思いだったろう。石井好子の夢はカジノ・ド・パリやフォーリー・ベルジュールの舞台にあった筈で、あの猥雑な場末のキャバレーにはなかった筈だ。


コメント

1件のフィードバック

  1. 自然の姿を尊重する所からナチュリストという事になったのでしょうか?・・・残念です。

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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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