歩いて骸骨、立ち止まって骸骨

by

in

 果てしなく続く人骨、頭蓋骨、ぎっしりと隙間なく並んでいる大腿骨、現在公開されているのは約1、7キロ分のみ、地下鉄の倍の深さに位置するパリの地下墓場…通称カタコンブ、入口には「死の帝国」とあった。額に剣の傷のあるもの、あるいは陥没した頭蓋骨、18世紀末から19世紀にかけてパリ市内の教会から600万体の遺骨が集められた。パリ14区ダンフェール・ロシュロー広場から狭い暗い螺旋階段をたどって墓場に降りる。昔石切り場だったので、暗く長く細い。「私は心臓が弱いのですが、大丈夫でしょうか」「止めたほうがいいでしょう」と管理事務所は答えているそうだ。地下にはトイレもレストランも一切ない。死者たちのためには土の王宮や土の教会が用意されている。さらに螺旋階段を降りれば、不気味に青く光る地底湖もある。1871年パリ・コミューンの折には、このカタコンブで籠城戦が繰り広げられ、さきの第二次世界大戦ではフランス・レジスタンスの秘密司令部が置かれてナチスドイツと闘った。骸骨たちは何も言わずじっと壁になっているが、それぞれの悲しみや怒りを抱えて死の帝国へ旅立ったのだろう。やがて二駅も離れた地上にでるが、出口では厳重な持ち物検査が待っている。たまに死者を現世に連れ出そうとする不届き者がいるそうだ。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ