タケシのパリ展をみる

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 モンパルナスにあるカルチェ財団美術館で、キタノ・タケシ展をみた。タケシの優れたアート感覚を期待して足を運んだが、そこにあったのはタケシ式遊園地であった。週末の夜のワイドショウでタケシが演じているテレビ軽口の立体版だ。
 まず迎えてくれたのは、「オレを見ているオマエは誰だ」と題された学生服のタケシ人形から脳みそが飛び出している。この半世紀いく人もの漫画家、イラストレーターによって描き尽くされてきた視点。「絞首刑で死ななかった男」には、サイズ違い、設計ミス、使い方が違う、とあった。「大江戸マペットシアター」は福助・オカメ・ひょっとこ・達磨・天狗・恵比寿・大黒・獅子舞などの板絵が3列に並んで上下運動を繰り返している。大仕掛けの北野式ソーイングマシンは蒸気機関車の先端にシンガーミシンが括りつけられていた。笑ったのは足立区漁業組合のバイオ養殖、マグロの腹の中にトロ・アカミ・えびのにぎりがぎっしりと並んでつまっている。他には、竹箒で書道、ラジコンで抽象画、などなどムキになって見るほどの作品はなかった。さてカルチェ財団の学芸部はなにを考えているのやら???。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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