約束はポン・デザールで

by

in

 ポン・デザール(芸術橋)と呼ばれている橋がある。30ばかりある世界遺産セーヌ川に架かる橋のなかでももっともシンプルな始めて鉄がつかわれた素朴な橋だ。ナポレオン一世が左岸からルーブル宮に自由に出入りできるよう造らせたといわれている。
 何処へ行ったの?ポン・デザール!あら…といってウインクを返される。恋人たちが盛り上がった時、約束をしにいく橋なのだ。橋の両脇の金網には無数の鍵、日本で言う南京錠がかかっている。鍵をかけたらキーはセーヌへ投げる。二人は一生の誓いに南京錠を手にここへくる。名前が書かれていたり、愛のマークだったり、永遠を信じて愛し合った二人の証拠が、橋を埋めている。その鍵に寄り添って唇が腫れるほどいつまでもアンブラッセを交わしている男女、橋の上に寝転んで上半身を重ね見つめあっている女同志…多分レズなのだろう。なかには女がひとり、流れていくパリの空の雲をみつめて、動かない。頬に一筋の涙が流れて拭おうともしない。過ぎ去った彼女の青春が見えて、こちらも立ち尽くしてしまう。ポン・デザールにはこうした平凡な人生の喜びと悲しみが、いっぱいある。永遠のパロディを具象化すればポン・デザールになる。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ