ピタパンの行方

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 パンは紀ノ国屋のピタパンに勝るものはない。中近東生まれの直径12、3センチ、厚さ3センチほどの丸い半生のパンである。求めてきたピタパンをオープンで4分ほど焼くと出来たてのパンのあの香ばしい香りが家中を包む。そのパンをちぎってバターをぬり、あるいはちょつぴり苦いグレープフルーツのママレードを塗って食べる。お相手はダージリンのファースト・フラッシュがとてもよく合う。紀ノ国屋のパンはどれをとっても美味しいのだが、ピタパン以外でしいて挙げれば山型のイギリスパンがこれまた抜群である。いわゆる食パンの領域をはるかに超えた奥のある芳醇な味をもっている。青山の紀ノ国屋では、毎朝10時か11時に焼きあがるので、それに合わせて通いやすい五分以内のマンションに住んでいたこともある。
 戦後の荒涼たる食文化のレベルアップを担ってきたのが、高級スーパー紀ノ国屋だった。その紀ノ国屋がついにJRの軍門に下ってしまった。駅ナカのスーパー化を進めるJR東日本は、若い消費層を狙って、ワインやチーズを中心としたカジュアル・マーケットを進め、秋までには紀ノ国屋全体が変わったと思われるようにしたいそうだ。天理教を信じ、ひたすら食品の高級化に尽くしてきた紀ノ国屋のあの志は、あわただしく買い物をする駅ナカ通過者のための簡単便利マーケットと堕落してしまうのだろうか。一時の不況からくる貧乏に媚びて、結局半世紀積み上げてきた食文化を失ってしまうという悲劇の物語だ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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