「都をどり」は明治4年から150回記念公演

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 「都をどり」が150回の記念公演を迎えた。奇跡の150回である。
 日本人が誰も見たことのなかったレビュウ形式の舞台を明治の初めに創った。
 それも祇園町の井上流の舞だけで構成された。出演者も300m四方の小さな祇園町甲部に生きている芸妓衆と舞妓たちだけである。
令和五年 都をどり 令和五年 都をどり 令和五年 都をどり
 江戸時代いくたびもブームになつたお伊勢参り精進落としの里、古市の遊郭に伝わる遊女顔見世のための「亀の子踊り」を参考にして全くことなるトラディショナル・レビューを創り上げた。
 祇園甲部の取締だったお茶屋一力亭当主杉浦治郎右衛門の眼力と、三世井上八千代の構成振付の能力、その二人の情熱の結晶だった。その都をどりが150回を迎えた。一回の公演が一ヶ月30日間で一日3回公演だから、ミュージカル公演風に表現すれば一万三千五百回公演となる。
 興行師ではない小さな花街が次々と変わる芸妓舞妓のキャストで、家元、お茶屋、町衆だけの力で、戦争、大恐慌、コロナを乗り越えてつづけてきた明治以来の「都をどり」である。
 スペクタクルの創り方としてはマンネリなところもあるが、それがまた都の名物となって京の歳時記となつている。インバウンドの外人は「チェリー・ダンス」として、古き良き時代の日本のイメージに集まって来る。
 何年も前にボストンからきた友人に再会すると、思い出話しはいつも「都をどり」のことである。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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