守れ「黒石寺蘇民祭」

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 黒石寺の蘇民祭が来年から無くなります。
 住職がたんたんと報告している。住職の表情にはこの祭りを継承できない残念さも口惜しさも読み取れない。おそらく住職の脳裏には祭りを施行するにあたつての面倒臭さだけがあって、それを克服して蘇民祭をやりたいという願望も思い込みもないのだろう、としか思えない。
蘇民祭ポスター.jpg
 蘇民祭にはさまざまの決まりがあって、少ない檀家では対応しきれなくなっている。というのも確かに理由のひとつだろうことは想像できる。
 が一方では蘇民祭はお寺さんと檀家だけのものではない、という考え方もある。かりに檀家ではなくても、祭りは地域全体の共有財産であってお参りするすべての人のものではないか。
 とくに黒石寺蘇民祭のように蘇民祭の代表格に擬せられ、近隣の人々を始め多くの観光客までおしかけるような祭りになると、地域の財産であり文化財としての価値もある。
 子供が少なくなり、若者もいなくなった集落は日本中に沢山ある。そうした村落がみな何百年続いてきた祭りをあっさり放棄したらどうなってしまうのか。宗教を意識せず祭りでしか神仏とつながってこなかった多くの庶民にとってますます精神社会がほそくなり、人生観も世界観ももてないやせ細った日本人ばかりになつてしまう。
蘇民祭.jpg 蘇民祭2.jpg
 クリスマスもバレンタインもすべて商業祭にしてしまう日本人にとっては、集落の寺や神社に伝えられている祭りこそがせめてもの宗教なのだから、寺の坊主の一存ではい、止めますと言えるような軽さではない。
 祭りは歴史的な存在のあかしであり、生活風土の証言者でもあるので、その存立については自治体なり政府も関与してその存否を問うべきではないか。
 祭のルールに手をいれて時代にあわせるのも「不易流行」の思想にあっていると思うが如何。  


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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