「山の上ホテル」休館の報に

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 坂道をのぼるとそこに山の上ホテルがあった。
 「来週は町田にいないから、駿河台の山の上ホテルに来て」 遠い冬の日の午後、遠藤周作さんに告げられた。
明治大学に通っていた人にとっては、隣の旅館のようなものだったと思うが、武蔵野育ちの筆者にとっては縁遠く、文人たちのカンヅメ・ホテルが山の上ホテルという認識だったが、約束の場にいって驚いた。
 坂道の上にあったのはアールデコ様式の見本のような建築だった。外観、階段回り、漆喰壁の部屋、桜の肌の家具、ひとつひとつが趣味の自宅のようなしつらえだつた。のちに設計したのはあのヴォーリズと知り納得したが、九州の石炭商佐藤慶太郎がヴォーリズを選んだことに驚いた。
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 打合せが一段落し「めしを食いに行こう。ここの天ぷらはいけるぞ」連れていかれたのが地下の天ぷら食堂、今を時めく『銀座近藤』の修行した『てんぷら山の上』だった。「美味い天ぷら」を意識したのは、ひとえに山の上ホテルのおかげ、何十年たった今でも天ぷらは『近藤』か、『山の上』と思い込みは変わらない。江戸っ子としては、蕎麦、天ぷら、寿司、うなぎの美味いのがあれば充分、ナイフとフォークでたべる異国の料理はいらないのである。
 その山の上ホテルが休業ときいて悲しい。
 新しくなったらショッピング・アーケイドにオフィスがあって、ついでにホテルがあって、億ションがある超高層四角いビル…… そんなことにはならないことを祈っている。
 「ねがわくは、ここが有名になりすぎたり、はやりすぎたりしませんように」 三島由紀夫


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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