中国大好きの日系企業にもようやく習近平帝国主義の恐ろしさが解ってきたようだ。
今、日本企業の中国脱出が次々と起こっている。
スズキ自動車、アイリスオーヤマ、HOYA、ニンテンドウ、ソニーなど大手メーカーが、続々と生産拠点を移しずつある。
なかでもスズキはいち早く中国のみならず北米からも撤退、インドに拠点を移した。
インドの町を走る外車の半分はスズキ・ブランドというから驚く。フツトワークの軽さにおいて圧倒的な妙を発揮している。
ニンテンドウも中国からベトナムへ生産拠点を移し、中国の地政学的危機から逃れつつある。
人件費の安さが魅力だった中国もいまでは人件費高騰で採算点を割り込み、法人税率はあがり、さらに反スパイ法の施行ですべてのデーターを政府に提出しなければならず、中国との合弁でしか事業展開できない外国企業にとってはまったくリスクそのものが中国における事業展開になっている。
脱出するに当たって、株式持分をそっくり売って会社ごと消滅を計る。
別企業に吸収してもらって経営権を完全譲渡する。
さらに解散、清算して法人ごと消滅させる。
破産手続きをして会社財産をすべて債権者に配分して終わる。 等々
何年か苦労した中国進出は何だったんだろうとホゾをかんでいる経営者が多い。
コロナのおりにはロックダウン政策で、サプライ・チェーンがずたずたになり、生産物流が政治に振り回され、ご都合本位の言論統制から簡単に反日運動ゃら、不買活動が始まる国ではリスクが多すぎる。さらに台湾有事を目の前にしては、安定的な経済活動など夢のまた夢である。いっこくも早く中国から脱出しなければならない。
いま、中国脱出の流れ
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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