江戸のドンキ・ホーテ / としまや

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 ドンキ・ホーテといっても、歴史に名高いあのドンキ・ホーテではない。
 令和の近頃、あちこちに出現している安売り実用ディスカウント・ストアのことである。
 前世紀末からの不況に遭遇し、ファッションからパーティーグッズまで、あらゆる日常品がコスパ抜きでは考えられなくなった。
 そこで東京銀座の真ん中から、長野駅前まで大きな看板は、みんなドンキ・ホーテ。21世紀を生き抜く新しい業態だそうだ。
としまや.jpg
 ところが、だいぶ昔、家康が江戸に追いやられ、やむなく城造りを始めた頃、すでにドンキのごとき業態で大儲けした商人がいた。
 「としまや」という酒屋である。神田鎌倉河岸に店を構えた。
 なぜ鎌倉河岸かといえば、当時労働者、人足、石工、大工、下働きが一番集まったのが、鎌倉河岸だった。
 鎌倉河岸には昼も夜も全国からの舟が着いた。舟にはみな巨石が積まれていた。全国の大名からの城石であった。江戸城建設にあたっての石の必要量はものすごく、外堀、内堀、外陣、内陣、櫓、本丸に必要な石材量はこの国の有史以来最大の規模であった。
 当然、荷下し人足、下級武士、石工、沖仲仕、等々あらゆる階層の労働者で河岸は大賑わい、多忙を極めた。
鎌倉河岸.jpg
 その河岸のまんまえに店をかまえたのが「としまや」であった。
 チョンガーばかりの江戸の町で、酒屋でいっぱいは、労働者にとって天国だった。
 安い酒を原価でうり、つまみの田楽も原価で商い、空いた酒樽の下卸で儲けたといわれている。日々店のまえには、客の飲み干した酒樽が20個、30個と積まれ、それで「としまや」は財をなしたといわれている。
 江戸の商人の知恵と令和の商人の知恵は、そんなに変わりがない、というところが面白い。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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