どちらも美しく優劣つけがたい時に使用する言葉と習ってきた。
悪餓鬼どもは町内の美しいお姉さんに、どちらがアヤメ、カキツバタと囃して、楽しんできた。囃し立てられたお姉さんもマンザラでもなく、「コラッ!」となじりながらも「あとでオヤツ食べにイラッシャイ」ニッコリと微笑んで許してくれた。
アヤメは山に、カキツバタは水辺にと教えられたが、やっぱりよく判らない。
お寺さんの横のお姉さんがアヤメ、小川のそばのお姉さんがカキツバタと勝手にきめ、そうでないお姉さんはショウブと決めていた。
鳶のおじさんが、束にして届けてくれるのはショウブの葉、それが風呂いっぱいに浮かぶ菖蒲湯の至福のときだった。町内のお姉さんみんなと風呂にはいっているような気分だった。
江戸のころは吉原の表通り、仲の町は一夜にして桜並木からアヤメ通りに転じ、あやめを愛でながら吉原を楽しんだ風流があったと伝えられるが、当世自然回帰を振り回す人々ほど、自然のない生活にドップリとつかってCO2を出さないようにと、アジテーションする奇妙なことになっている。信州の温泉場でも菖蒲湯を喧伝する湯場は見当たらず、温泉に入ってワインを飲もう等と見当違いなお披露目になっている。
あの夏の初めのショウブの葉はどこに行ってしまったのだろう。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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