佐久中込の「こてえ」そば

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 30年前、早咲きの花を横目に伊豆半島を南下していた。
 きっかけは忘れてしまったが、西海岸の小さな港町松崎をめざしていた。
 入江長八の「こてえ」が目的だった。
 「こてえ」とは漆喰壁に左官職人が描くレリーフ状の立体であり、漆喰装飾としても貴重な工芸である。
 松崎の町は、漆喰の白壁に西伊豆の海の蒼さが反射し、なんとも眩しかった。漆喰で作られた長八美術館も素晴らしかった。
 眼の前に広がるたたずまいは、長八がこの地で「こてえ」に入れ込んだ理由を語り、こてえという職人芸の背景まで理解するのに充分だつた。
長八美術館.jpgこてえ天女.jpg
 漆喰絵は高松塚古墳や、法隆寺など天平年間にすでに存在し、いわゆる絵具による絵画よりもはるかに古い。
 竜、月兎、天女、滝登りの鯉、恵比寿、大黒、七福神など民間信仰に登場する動物、事物など、土地の長者や時の権力者に求められ、腕に覚えのある左官職人が描いた。
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 しばらく忘れていた「こてえ」だったが、突然に眼のまえに現れた。
 佐久中込の駅前にある小さな蕎麦や「きのえね」である。
 日曜日のお昼、蕎麦でも如何と、友人の猪狩さんの御誘いに乗って出かけた。
 薄暗いそばやの壁に鶴が乱舞していた。正面の日輪には鶴が上下を飾り、瓦屋根のカウンターの上にも八羽の鶴が飛んでいる。
 信州でこんなに 美しい「こてえ」をみたのは初めてだった。
 忘れ去られたような中込の一角に、こんな素晴らしい「こてえ」が生きていたとは、改めて風土に生きる左官職人の情熱を感じた。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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