文化の判らない文化庁長官

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 都倉俊一は23代文化庁長官である。
 都倉俊一はポップスの作曲家として、ペッパー警部やSOSなど数々のヒットソングを作ってきた。
 都倉俊一はこの国の作曲家として、恐らくナンバーワンのルックスを供えている。つまりミスター作曲家なのだ。
 都倉俊一は「稼げる文化芸術を作らない限り、文化立国など標榜できない。」と主張する。
 それ故彼は戦後日本の芸術の核となってきた芸術祭を廃止においこんだ。その上ここ数年海外でも注目されてきたメディア芸術祭も中止ということで、あちこちから反対の声が上がっている。
 都倉の頭のなかには、商業芸術と純芸術の差別がない。
 自分自身ポップスの著作権料で稼ぎ、蓄財してきたのでそれが当り前と考えているのだろう。
 が著作権ビジネスなどというのはごく最近になって商業主義が眼をつけた権利ビジネスであって、芸術そのものの実態から生まれたものではない。
 芸術の価値は多面体のごとく無数にありにあり、ここで論議するわけにはいかないが、絵画や立体にしても生前に評価を受けることなく、死後評価を得る作品は無数にあるし、能、狂言、日舞、などの伝統芸能、あるいは民族のアイデンティティーともいうべき民俗芸能、など現代の商業主義とマッチしない文化芸術はやまほどある。
 欧米の先進国はそうした芸術の庇護育成に金を使い、文化立国になっている。
 眼のまえで「稼げる文化」のみに傾斜すれば、軽薄なマンガとヒップホップの横行する薄っぺらな国になってしまう。
 折から文化庁の京都引越しである。
 京都の地でゆっくりと頭を冷やし、文化立国とはなにかを都倉俊一は考えるべきだろう。 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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