岸田首相のゼレンスキー詣で失敗

by

in ,

1
 どうしてもゼレンスキーに会いたい!! 一度ならず二度、三度とアプローチを賭けていたのが、日本の岸田文雄首相である。
 G7 HIROSHIMA サミットの前になんとかして戦時下のウクライナを訪れ、ゼレンスキー大統領に会っておかねばならない。そうしなければG7の議長の役割も務められない、との思いが大きく、サミット前にウクライナ訪問を実現したかったのだろう。
 が日本国外務省は「戦時下で危険なので首相のキウイ訪問などとんでもない。不可能です」の一点張り。G7でウクライナ問題のヘゲボニーをにぎりたかった岸田首相の野望は露と消えた。
ゼレンスキーバイデン.jpg
 そこにバイデン大統領のウクライナ電撃訪問である。
 ポーランドまで専用機で飛び、そこから鉄道に乗り換えて10時間、記者団を巻いて見事な隠密旅行を実現した。
 普段から在外公館に武官を滞在させ、情報採取、スパイ活動を積極的にやらなければ、戦争下の高官移動などは絶対に無理、ということが岸田首相にもようやく判ったことだろう。
 平和ぼけの外務省も初めてみずからの役立たずぶりに気がつき、戦時下では電通もJTBも外務省も全く無能なことが判って、岸田首相のG7議長もバイデンのご高説をきくしか方法がない、という現実をつきつけられた。 


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ