最近、やたらパンダの話題が多いと思ったら、今年中にシャンシャンとやらを中国に返さなければならない、という現実に改めて向かいあっているようだ。がテレビでは、カワイイ、カワイイの連呼で、パンダの担っている役割や、日本に於ける中国のパンダ外交についての論評は全くと言っていい程見かけ無い。
高いレンタル料を払って、ただのカワイイに興奮するだけでいいのか、まんまと中国の仕掛けた罠にはまってはいないか、オバカと判っている女子アナももう少し問題意識をもってパンダに向かいあって欲しい。
日本にパンダが来たきっかけは、1972年田中角栄による日中国交正常化だった。
アメリカを激怒させてまで日中国交正常化に踏み切った田中角栄に対するご褒美こそが中国のパンダだった。
中国政府のヨミはズバリ的中し、日本のマスコミはすべてパンダのカワイイに白旗を掲げたのだ。
当時はジャニーズも坂道もまだ存在はなく、黒柳徹子がパンダ賛美の先頭に立ち自らパンダ博士を名乗って、中国パンダ外交の先兵となった。
中国はパンダによる日本人の親中意識に付け込み、まんまと高額のレンタル料を設定、その上日本で生まれ育てたパンダの権利まで所有権を設定して、中国への親近感と同時にレンタル・ビジネスを成功させたのだ。
今日日本が中国に払っているパンダのレンタル料は、11頭で毎年約11億7000万円前後なのだ。
折からのバブル景気にのって日本人のカワイイ幼稚化現象はパンダと共に肥大化し、大人としての美意識を育てそこなった罪は大きかった。あのときカワイイなどという幼稚化対象がなければ、日本人は有り余る金で大人の美意識に目覚め、欧米先進国に肩をならべる人間になったような気がする。日本人の幼稚化にチカラを嫁したのは、ひとえにパンダとジャニーズ、サカミチそしてメディアであったと確信している。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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