「メン地下」と言われても、普通人にはなんのことか理解できない 。正しくは「メンズ地下アイドル」という。
10代の娘さんの居る家庭ならば、娘さんに早速解説していただけることだろう。
用例としては「私のオシメンは、時雨の伊織(22)よ!」「私は蒼天の翼!」そんな風に自己主張しあうらしい。
ホストは主たるご贔屓は経済力に溢れたオバサンやら、オフロ、水商売の女など概ね懐の温かい女性がお相手だが、この「メン地下」と呼ばれる美麗な男たちの対象は、10代の少女ないし女子高校生JKと呼ばれる若い女達が対象、そこがなんともタチが悪い。
「メン地下」たちは概して眼はぱっちりの美少年が多く、化粧のテクニックに優れている。気持ち悪いほどにウツクシク、ホワイト・フエースでJKを夢中にさせるセリフとテクニックを持っている。
夢中になった少女たちは、1000円で゛1ポイントというチェキ券にはまる。
いっしょに写真、動画なら30ポイント、ともにカラオケは300ポイント、リムジン・ヘリコプター遊覧は1000ポイント、等々坂道の握手会でなれたポイント制の罠に落ち込む。
お金のない少女たちの行きつく先は、夜のお仕事、パパ活、援助交際、売春へまっしぐらなのだ。
「お帰りなさいませ! ご主人様!!」一世を風靡したメイド・カフェは、寂しい男たちに非日常の幸福感をもたらしたが、ある程度働いて得た収入が元手になっていた。ところがメン地下に集まる少女たちはモトデもなく多額の借金を背負ってエンコウ、パパ活に走る。
成人にも達していないこうした少女たちを生んだのは教育か、家庭の責任か、ひと言では言えないが、いずれにしても彼女たちの周辺にそうした悪魔が住みついていることだけは確かだ。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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