週刊朝日の廃刊に想う

by

in , ,

清水崑.jpg
 週刊朝日がとうとう廃刊を迎えることとなった。
 いろいろな想い出がある。
 表紙にどうしたことか女子大生が次々と登場した。それも篠山紀信撮影による女子大生シリーズだった。
図1.jpg
 ドキドキしたのは、東京大学の膳場貴子、熊本大学の宮崎美子だった。真面目な筈の女子大生を、すこしばかりセクシーなアイコンに仕立て上げたのが、週刊朝日の表紙だった。
 山藤章二の野太い漫画風タッチも懐かしい。週刊朝日を裏から読ませるページとして評判を呼んだ。学生時代は朝日の批評的漫画は清水崑だった。河童天国の墨線がなんとも嬉しく、舞台装置を依頼しに鎌倉までなんども足をはこんだ。 御かげで芥川竜之介作の「仙人」演出で国際演劇月文部大臣賞をいただいたが、作品の世界を印象ずけた清水崑の墨線の効が大きかったとおもう。
 政治経済学部のゼミでも週刊朝日の特集はしばし取り上げられた。
 社会経済を論じるのは、朝日新聞、週刊朝日、そしてアエラという時代も何年かあったが、顕著な左翼偏向とともにいつか民心は遠のいてしまった。
 いつか往年の朝日の権威を取り戻して帰ってきてほしい。
 「新聞は威張って嘘をつく」などと言われずに。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ