大学教授という名のクレーマー

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 信州大学名誉教授なる人物が、子供の声が煩いから公園をなくせ! としつこく長野市に訴えた。
 そんな理不尽によもや市役所は相手にしないと思っていたら、元スポーツ選手の市長はあっさりとクレーマーの声に屈して3月で公園を閉鎖することになった。
 市長は少数の声に耳を傾ける姿勢をこれからも続けると発言している。
 公園の周りに住む住民は全員公園閉鎖に反対し、これからもこの公園を維持してほしいと請願している。
 公園をつぶせというのは、元大学教授だけ。
 こんな「公」の精神のないクレーマーがのさばっては、ますますこの国はおかしく成る。
 子供の遊び声が我慢出来ないのなら、自分だけ遠くへ引越したらいいのだ。
 昔、軽井沢の国道18号線には白樺の木が一キロ近く植えられていて高原の道を演出していた。
 この白樺を全部伐って、つまらない紅葉にしてしまったのは、信大と早稲田の大学教授だった。
 当時のクルマの排ガスを計って白樺の木の生存域ではなくなるから、というのが理由だった。
 大学教授のイメージには排ガスがどんどんキレイになって遂に電気自動車となり、白樺の美しい高原になるという想像力がなかった。
 現在、町長が進めている100年計画でも大学教授というひとたちの想像力の貧困は呆れるばかりである。
 「公」の認識にかける大学教授を温存してはいけない。学術会議の大学教授と同じく、日本の国防研究はせず、中国の国防研究は喜んでやるというイビツな国になってしまうのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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