日本平・風景美術館に酔う

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 日本平へは昔久能山東照宮の取材でいったことはあったが、記憶はとっくに飛んでしまっている。
 今回のお招きは処女旅行のようなものだ。
 第一印象はそのキャッチの如く「風景美術館」に相応しい素晴らしさだった。
 総ガラスのピクチャーウインドウからは、三保の松原をなめて駿河湾越しの伊豆半島、清水港、そして箱根、富士山までの大パノラマが威容を誇り、僅か307メートルの丘陵地には茶畑、みかん畑、広葉樹林帯が広がっている。
 宿泊とセミナーの会場になった日本平ホテルの設計がなによりも良かった。ガラスの多用で周辺の風景をくまなく取り入れ、みごとな空間をつくりだしていた。
 窓越しの風景と対峙するだけで十二分の満足をあじわうことができた。
 
 海に面したホテルでは、伊勢志摩の志摩観光ホテルに抗しても負けないスケール感にみちていた。
 富士山の碑、万葉歌碑、赤い靴の故郷歌碑などもあり、なによりも久能山東照宮があることが最大の財産でもある。
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 軽井沢へ来る前のウイリアム・メレル・ボーリズの設計になる静岡英和学院が麓にあるのも嬉しい。ボーリズも日本平の夜景遺産を楽しんだに違いない。雨に恵まれ、中腹の舞台芸術公園を覗けなかったことが残念だったが、顔黒の静岡おでんを楽しみ、田丸屋の「金のわさび漬」を手に帰途についた。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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