白鳥が悲しんでいる

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 バレエ愛好家のほとんどは「白鳥の湖」に始まっている。
 バレエの舞台は見なくとも、チャイコフスキー・バレエ音楽としての「白鳥の湖」への興味から始まった人は多いだろう。ロマンティックなメロディに酔い、白鳥という呪術的な造形に心乱されたバレエ初心者のなんと多いことか。
 作曲家のチャイコフスキーはロシア人であるという認識はあっても、彼の愛した自然風土 精神風土がウクライナであったということは余りしられていない。
 ウクライナ中部のカミャンカという小さな町こそが、チャイコフスキーの愛した自然だった。
 そこで彼は「白鳥の湖」を作曲した。いったことはないが恐らくカミャンカの町には白鳥たちの宇宙を創造させるなにかがあるに違いない。芸術家たちがその土地を愛し、そこから作品へ没入する道があるのは必ず理由があり、空気があり、風土がある。
 彼は白鳥の湖だけでなく、30にも及ぶ作品をウクライナのカミャンカでつくったといわれる。
 その町はチャイコフスキーだけでなく、文豪プーシキンに愛されたことでも有名で「プーシキン・チャイコフスキー博物館」があったが、この春のロシア侵攻を受けて「記念博物館・緑の家」に変更され、さらに首都キエフでは議会がロシアからの書籍輸入、ロシア音楽の上演禁止を決め、ウクライナへの愛国心を強調している。
 プーチンとチャイコフスキーを一緒にするな、という声は町に溢れているが、はたしてこの行方はどうなることやら。
 町長はチャイコフスキーなしのカミャンカは考えられないと、発言しているが、文化と政治のせめぎ合いは当分解決しそうにない。
 民族の存亡にかかわるとあれば、文化の後退もやむおえないかもしれないが、政治・経済の下部構造にたいし、あくまで文化は民族の上部構造をささえていることを忘れないで欲しい。  


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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