ハロウィンの惨劇

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 韓流ドラマとか韓流音楽とか、日本人はこれほどまでに韓国好きとはおもわなかった。 
 ハロウィンの梨泰院事故の報道ぶりに驚いた。日本のテレビ局ではなく、まさに韓流テレビそのもの。
 事故に対してお悔やみを捧げるのは当然だが、グルメ通りの混みぐわい、坂道にはいったら巾何メートルに何人が殺到して、ついに何人圧殺死したと、韓国のメディアより数十倍の密度で報道している。目先の事件報道だけで、ハロウィンなる無意味なイベントに関する報道はない。
 隣国とはいえそこまで入り込んでいいの、と思わせる報道ぶり。なかには事故現場の模型まで作って、このカコイが悪いとか、警察の警備能力を疑うとか、まさに内政干渉状態になっている。
 亡くなられた日本人、ソウルにまで留学して勉強していたというお嬢さんにはお気の毒だが、折角かの地で勉強するのなら両親はもう少し厳しく躾けておけばよかった。娘は私の宝物と涙していたが、それならもうすこし対応すべき教育があったろう。
 渋谷のハロウィンも、梨泰院のハロウィンも、ただの商業的イベントであんなところに出掛けるのは無知な大衆のやることだ、としっかり教えておくべきだつた。
 ケルト民族の風習をアメリカが利用し、さらに日本の菓子屋が顧客動員のイベントに利用した馬鹿馬鹿しいイベントに過ぎないと、何故娘に教えなかったのか、それが不思議でならない。
 警察が悪い、安全管理の義務があったと責めるまえに、自らの認識と行動について反省しなければ、いつまでも悲劇は繰り返されるだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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