男に溺れた米倉涼子

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 オスカー出身の女優達は、何故こうもオトコにたいする眼がないのだろう。
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 米倉涼子がブロードウェイの「シカゴ」出演をまえに降板の発表した。
 原因は数年前から通い出したタンゴ教室のアルゼンチン教師にある。
 ハイヒールを履き、激しい回転動作をなんども繰り返すうちに、日頃体幹を鍛えていない米倉のからだはガタガタになり、腰痛症と仙腸関節障害が惡化し、自由に背中を曲げることも出来なくなった。これではいくら頑張っても舞台にたつことは不可能なのだ。
 惚れた男も身体の動かなくなった女では相手になりようがない。
 米倉涼子という女は、かってあの性悪の海老蔵に惚れ、追っかけまわしていた時期があった。
 TOKIOの松岡昌弘に惚れて口説いていた時期もあった。 男をきちんとみる眼に欠けている。なにを男に求めているのか、冷静にみればキンニクだけのような気もする。
 テレビ朝日の廊下で社長の早河を捕まえて「ヒロシー!」とよぶような女だから、脳ミソの中味はおおよそ想像はつく。
 ZOZOTOWNの前澤友作に狂った剛力彩芽も、オスカーのホープだったが、結局前澤の金力に溺れたオバカ女優に終わってしまった。
  
 オスカーの女優管理はどこか間違っているのでないか。欲望に溺れた女優が次々に登場する。
 「全日本国民的美少女コンテスト」も結構だが、「全日本国民的女優」も育ててほしいものだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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