必要悪のダフ屋もいる

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 見出しには「消えたダフ屋」とある。
 引き続き「資金稼いだ暴力団、ひっそり解散」。
 どうやらネット社会に対応出来なかったのと、コロナ禍のしたでイベントが軒並み中止に追い込まれたのが大きかったようだ。
 この7月に解散したのは暴力団「姉ヶ崎会」、大正初期から浅草を中心に活躍、構成員は一時700人を数えたが、令和3年末には85人にまで減少していた。
 主な仕事はお祭りの露店を仕切るテキ屋と、プロ野球やアイドル・コンサートのダフ屋だった。
 外来歌手の入手困難なチケットだったら、姉ヶ崎会のお兄さんに頼めというのはその道の常識だったともいわれていた。 
 その昔はホームレスを大量に雇って、チケット窓口に並ばせ大量にチケットを仕入れていた時代もあった。
 今では素人のネットダフ屋が横行し、暴力団のノウハウが通用しなくなったという悲しい現実が、姉ヶ崎会の解散を招いた。
 ジャニーズや坂道グループの大規模コンサートは、シノギの最後に咲いた大輪の華だったが、これも中国製のコロナのお蔭で全世界規模で中止に追い込まれた。
 旅行者にとっては、このダフ屋の存在が有難いこともある。空港からホテルについて、さあ今夜はどこの劇場にいこうか、というとき白人のダフ屋が威力を発揮してくれる。評判が良く一年間ソールドアウトと情報誌にかいてあっても、その筋に頼めば必ずチケットは入手できる。
 シアター・デスクのある超一流ホテルなら、買えないチケットはない。少々高額のチップを覚悟してマダムに頼めばすべてオーケーなのだ。ブロードウェイやラスベガス、パリでもそうした文化ヤクザは存在する。   


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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