日本人女性初めての西洋画家、ラグーザ玉は、コスモスが結んだ恋から生まれた。
明治9年芸大の前身、工部美術学校が開校、そこに学んでいたのが芝・金杉の清原玉という女性だった。
教師としてイタリアから来ていた彫刻家ラグーザは玉の美しさに惹かれ、モデルを頼んだ。
モデルとして通ううち玉の心もいつかラグーザの虜となり、庭のコスモスと共にラグーザのもとに通ったと伝えられる。
ラグーザと玉の恋を結んだのはコスモスの花だった。二人でイタリアに渡ったのちラグーザはパレルモ工芸学校を開校、玉はそこで教授をしながら日本女性初めての女性画家ラグーザ玉としてヨーロッパ画壇で活躍した。
佐久の内山地区にコスモス街道と呼ばれる6キロに及ぶコスモスの道がある。地元の老人たちの丹精がいつか地域の名物となり、東信の名所となって今日を迎えている。
薄桃、深紅、白、或いは薄紫、濃紫といかにも日本の在来種の趣きだが、明治の始まりギリシャから運ばれてきたコスモスの種に由来があったとは驚きだ。
そのコスモスの種を大事に育てていたのが、ラグーザ玉の実家の植木屋だったという因縁話である。
玉は少女のころから美しく、近隣では金杉小町と呼ばれていた。コスモスを愛し、コスモスによって愛を手にいれ、日本人はじめての西洋画家として成功したラグーザ玉にとってコスモスこそが、人生そのものだった。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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