韻松亭・彰義隊・上野大仏

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インショウ亭玄関.jpgインショウ亭カウンタ―.jpg
 上野の韻松亭(いんしょうてい)に初めていった。
 本郷に生まれて何をしてたと言われそうだが、90年その機会がなかったのだから仕方がない。
 たまたま小伝馬町の姉さまに連れられ、晩夏の上野へ処女訪問という訳だった。
 創業明治8年というから、上野戦争が収まってから間もなくできたことになる。
インショウ亭個室.jpgインショウ亭座室.jpg
 京都洛北にあるような侘びたたたずまいがとてもよかった。
 茶室あり、小間あり、総ガラスの広間あり、なによりだったのは月見台ごしに東京を見下ろすカウンターに案内されたことだった。天井の高いゆったりとしたカウンターでいただいた花籠の膳は、遠目の不忍の蓮を見ながらの至福の時だった。
 その東京を見下ろしていると、江戸っ子の脳裏に浮かぶのは明治維新の彰義隊のことだ。
 官軍への江戸明け渡しに「尽忠報国」を掲げて最後まで抵抗したが、射程距離の長いアームストロング砲の威力のまえに266人の死と共に滅んだ彰義隊士の無念が浮かぶ。上野戦争と呼ばれ、会津の白虎隊とともに明治維新の青雲の志だった。
上野台物.jpg
 横山大観がオーナーだったこともあるその韻松亭の北隣には、関東大震災で首が落ちた上野大仏が鎮座している。落ちた首だけを飾りこれ以上は落ちないというので、合格祈願の大仏になっている。近世がリアルに感じられる上野の半日だった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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