肉の日の感傷旅行

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 8月29日は「肉の日」だそうだ。
 戦後初めて、肉を意識して食したのは六本木の「チャコ」だった。
 進駐軍とともにやってきたようなひたすら分厚い肉を眼のまえのオープン・ストーブで焼いてくれた。
 炎とともに焼き上がった肉に格子模様の焼き跡がしっかりとついた大きなステーキが感動的だった。
 肉といえば戦争中はコンビーフ、戦後はハンバーガー、日常食にステーキが登場したのは、少し後だったような気がする。
 チャコのステーキには、じゃがいもと人参とトウモロコシに緑の葉っぱがひとつ、ジーッと音を立てながら鉄の皿にのってやってきた。油断すると彼女のスカートに肉汁が飛んでとんでもない事件となる。
 付属の小さなエプロンで防御しながら、ステーキの興奮がおちつくのを待ってナイフを入れ、ようやく食事の時へ移った。彼女の顔も警戒から安堵に変化し、目的の愛のステーキ・タイムとなった。
 隣りのテーブルでは、米兵と明らかにそれと判る女性がステーキを頬場っていた。
 その後は乃木坂に、牛の角にHAMAと書かれたステーキ・ハウスだった。
 ラスベガス・シーザースパレスのオーナーが来日すると、まず一番にハマへいきたがった。眼の前の大きな鉄板で焼く日本のステーキは世界一と激賞していた。
 戦後いち早く銀座でステーキハウスを開いたロッキー青木………の「紅花」は既にシーザース・パレスで店をひらいていたが、そのホテルのオーナーが、東京へくると先ず「ハマのステーキ」というのが愉快であった。
 彼はハマの社長が眼の前で肉を焼いてくれるスタイルに感心しきり。ステーキについてくるガーリックのチップを5倍10倍とオーダーし、食べ終わると、これで東京は終りと満足していた。アメリカ人の味覚を勉強したのは、実に六本木のハマであった。
 ステーキ・ジャングルの六本木の今の礎となったのが、ステーキ・ハマだった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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