新世代軽井沢ユーチューバーに騙されるな!

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 近頃若いのが軽井沢案内しているから見てください、とプロポーズされてユーチューブを見た。
 ディープな軽井沢とか、軽井沢に住むIT夫婦とか、発信元はいろいろだが、背景の薄さ、見識のなさにビックリした。
 俺たちは底辺のユーチューバーではない、と豪語するが、そこには軽井沢の地勢も歴史もなく、ましてやキリスト教の軽井沢も、文学の軽井沢もない表面の薄皮だけの若者風のユーチューバーがいた。
 長くて寒い軽井沢を嘆く移住者の女ユーチューバーの出身は何処と見てみたら長野市出身とある。長野も寒いという現実を忘れた不思議なユーチューバーだ。 こうしたカップルが発信する軽井沢にのせられ、真夏の街道を走って軽井沢にやってくる世代は、情報化時代の被害者というべき可哀そうな世代なのだ。
 いつか軽井沢へ行って中山道の宿場巡りとか、岩波文庫片手に文学碑巡りとか、軽井沢の美術館巡りとか、オールド世代の軽井沢のほうがはるかに良質な軽井沢だったような気がする。軽井沢の四季をとことん文字にしたり、絵画にしたり、文学に昇華した先人たちがいた。
 アウトレットでお買物、その後は底辺ユーチューブの発信する処で飲んだり食ったり、そんな軽井沢を語るユーチューバー程迷惑なものはない。
 自らマウンティングの権化、にもかかわらずユーチューブの最後には、スーパーサンクス(投げ銭)歓迎 とあった。
 レジェンドな表現を借りれば、IT乞食 ということだ。
 いちいち金の事を言うのは品性下劣な人間のすることで、かっての軽井沢の別荘人は決して口にしなかった。
 近頃の移住ユーチューバーは下品な精神と国籍不明なルックスに恵まれている。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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