お花畑の岸田文雄首相

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  副首相級の出席するNPT再検討会議に自らのりこんで演説した岸田文雄首相。
 ご本人は副首相級の会議に乗り込んで、志を訴えたつもりかもしれないが、各国の反応は岸田は首相級ではない副のポジションなのか、と改めて日本の首相の軽さを認識したようだ。
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 廣島出身のという自分の出自について思い込みが強いようだが、核戦力透明化の訴えでは、余りにも現実ばなれしていて失笑をかったとしか思えない。ましてや赤い折り紙を見せて壇上にたつとは、首相としての幼稚性を見せたようなものである。
 核というのが、兵器とて最高位に君臨している事実からすれば、今更何を言っているのか保有国からは一顧だにされないだろう。
 核戦力を透明化できると正気で思っているとしたら、お花畑のなかの総理大臣であり、リアリティのない事おびただしい。
 濃縮ウランやプルトニウムなど、核分裂性物質の生産状況に関する情報開示を求め、核戦力の透明性向上を呼び掛ける。
 言葉づらだけのそんな核戦力ゴッコアソビでは、ヒロシマ・アクション・プランの軽さが問われるだけだ。
 岸田首相は世界の今について、よりリアルな、より高度な外交手段を身につけなければ、日本と日本人にふりかかってくる災難に対処できないだろう。
 児戯に等しい「核戦力透明化」など日本の若者たちすら誰も信じないだろう。
 国家間の駆け引きは、より熾烈なイデオロギー対決であり、歴史も国際条約も無視した権力闘争なのだ。
 国防力とか戦力の必要性について、岸田文雄首相は厳しく再考すべきである。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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