祇園祭の山鉾巡行が三年ぶりに都大路を練り歩いた。
そもそも流行り病の退散から始まった祇園祭なので、コロナ禍の三年間じっとして巡行しなかったほうがおかしい。
コロナだからこそやるべきだった。
一力さんでのお献茶も無事終わったという報告があった。
祇園甲部の舞妓さん芸妓さんにお茶を教えているのは裏千家なのだが、一力さんのお献茶は表千家が担当している。
先々代からの御当主の遺言で、うちは表千家さん以外入れてはならぬという決まりになっている。
席は一力の大広間にしつらえられ、千家十職の職方さんが御菓子を運び、蔭だしのお茶のお運びは甲部の舞妓さんがやるという華やかな席なので全国の茶人達が集まる。ただ三年も開かれないと舞妓さんのお運びも初めてという人が多く、こんなところにも礼法の伝承に問題はあったよぅだ。
つい20年位前までは祇園祭の楽しみは宵宮のそぞろ歩きだった。
絽の薄物をまとった芸妓さんと祇園ばやしをききながら、鴨川の凉風を頬にうけて言葉すくなに散歩を楽しむ。そんな京都の楽しみも遠くへいってしまったような気がする。
メイクばっちりの金髪娘が、レンタル浴衣を着てスニーカーで闊歩している姿は、どうみても日本ではない。都大路にはいちばん似合わない。
男女平等参画社会、ジェンダー尊重社会の美意識は、理解のそとにある。
コメント
1件のフィードバック
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いろいろな伝統、風俗、習慣の美しさが失われていくいまの日本。「オーソドックス」さえ消滅し、ご指摘のように着物の着こなしもおかしなことになっています。祇園はこれからも祇園の古きよきものを残しながらこれまで通りの有り様を守ってください。ある意味、祇園は日本文化の最後の砦かもしれません。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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