花火に託した病魔退散

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 新聞に花火告知の大広告が入ってきて気がついた。 今夜は中軽井沢に花火が上がる。
 花火見物にとって我が家は絶好の位置にあり、サロンでゆっくりとお茶をしながら、楽しめる。
 新聞紙大の広告には、花火に拠金したスポンサーの名ばかりが裏表ぎっしりと記され、夏花火の目的も意義も何処かへいってしまっている。
 うわべだけのイベントとしてしか継承されていないことがあまりにも露骨で、はなはだ残念なことだ。
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 江戸享保の頃、両国の水神様に飢饉、流行り病で亡くなった霊を慰め、悪疫退散を願って花火をあげたことに始まっている。
 当時の浮世絵を見ると大川は屋形船、納涼船、物売船で埋め尽くされ、橋の上には江戸っ子が溢れんばかりに集まっている。
 両国橋の上流を玉屋、下流を鍵屋の花火が上がり、「鍵ヤァー~」「玉ヤァー~」 の掛け声が大川に響き渡ったと伝えられている。
 流行り病や水難逃れに対して、花火にたよるしかなかった江戸っ子の心が伝わる夏花火であった。 
 ここ3年のコロナ禍に苦しみ亡くなった人も多く、さらにオミクロンに追いかけられている今こそ、花火による供養、願いの意味を訴えてこその花火大会ではないか。
 軽井沢の大きな花火告知を見るたびに悲しさがます。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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