国際電話を掛けたり受けたりするのに、4時間、5時間は当りまえ、うっかりすると半日かかることもあった。
それも家庭や事務所に引かれていた普通電話ではなかなかスムーズにいかない。 外国の要人が宿泊する帝国ホテルならば電話局も優先してつないでくれるという安心感があった。
それ故、戦後初のパリ・ムーランルージュ公演の事務所は、帝国ホテルの一室を一年間契約した。1959年のこと、当時はまだアパート契約という概念はなく、長期宿泊だからいくら割引といった契約だった。
東京オリンピックの一般観客中止と慢性化したコロナ禍によって、ホテル事情もすっかり変わってしまった。ホテル業界はオリンピックのインバウンド目当てで投資した設備費がすべて無駄金になり、コロナの旅行中止や働き方改革で空室は埋まらず、更に4人以上の飲食禁止では宴会部門は壊滅状態におちいった。あのプリンスホテルが31ヶ所すべてを、僅か1500億円でシンガポールのファンドに売却するというのも、すべてはコロナのせい。 コロナが落着き、仮にインバウンドが戻ってきてもかってのホテル経営では生き残りは難しいとまで言われている。
改築する帝国ホテルは、30泊36万円からというサービスアパートメント方式を始めたところ即日完売、現在ではタワー館349室すべてがサービスアパートメントに変わった。若い起業家の事務所として信用価値のある最適のオフィスになった。
新興勢力で強気の星野リゾートも、インバウンド相手からご近所相手のマイクロ・ツーリズムに切り替え、料金を落として望んでいる。善戦しているのは、いまや日本一のホテルチェーンとなったアパホテルなのだ。アパは日本人に寄り添った値段と、日本を愛する祖国愛でトップ・ホテルに登りつめた。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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