あぶりだされた否戦コメンテーター

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 ウクライナ戦争がはじまってから、なんとなく気分がすぐれずブログに向き合うカロリーが大分減退してしまった。
 第二次世界大戦でB29の爆撃の下をくぐってきた筆者としては、今の日本人の戦争談義の軽さがひどく気になって残念でならない。
 「この現状をどう思いますか」他人事のようにインタビューする女子アナの軽さには呆れる。
 「ウクライナはロシアに勝てっこないから、さっさと降伏して戦争を止めればいいんだ」と発言したエセ演出家のテリー伊藤やら、「戦争を続けるウクライナもよくない。早く止めればいいんだ」橋下徹の頭のなかには、祖国愛はなく、戦火によって灰燼となる郷土への愛情のひとかけらもない、ということがはっきりした。こうしたお花畑のなかの日本人が、地上波のテレビに跋扈しているかぎり、地上波のテレビは衰退の道をたどるだろう。
 戦争を経済効果でかたる評論家や、現実の惨状をみても、あとで調査しなければわからない、戦争犯罪は裁けませんと知識をひけらかして物言う国際政治評論家等々、こいつらはこれでも日本人かというような不愉快なエセ・コメンテーターが多すぎる。
 自民党茂木敏充幹事長のウクライナ支援議員ひとり一万円拠出というのにも呆れた。
 桜の会なら一万円でもいいが、ウクライナの惨状をみて議員歳費から一万円とは、常人の考えることではない。これが自民党の財布を預かる幹事長とは、自民党は立憲民主かと疑ってしまった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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