最近アンネ・フランクの居場所を内通した犯人を突き止めたというニュースが流れた。
戦後最大のベストセラーは「アンネ・フランクの日記」だった。 アンネの日記を通してユダヤ人の存在を知ったし、ナチスによるホロコーストを知った。
アウシュビッツの恐ろしさと裏腹に、ゲシュタボの恐怖からなんとか逃れようと小さな屋根裏部屋に潜んで日々を送った少女アンネ・フランクに内通者がいたという現実に、言いようのない怒りと戦争の悲劇が蘇った。
中国の新疆ウイグル地区に対する民族抹殺が許せないのは、学生時代に読んだ「アンネの日記」があったからかもしれない。
数年前の春、パリのマレ地区を散歩していたとき、偶然に出くわしたのが「アンネ・フランクの庭」と名付けられた小さな公園だった。アムステルダムのアパートがアンネの舞台だったのに、何故パリの真ん中にアンネの庭があるのか判らなかった。アンネの鳥かごのような屋根裏部屋をモチーフにしたその小さな公園に座って、間もなく散りそうなマロニエの花をぼんやりとみていた。
眼のまえをユダヤ人独特の半円形のキッパーを被った人が通り過ぎた。そうだ、この町はパリのユダヤの街だと気が付いた。近くにはユダヤ歴史博物館もあったし、ユダヤ料理店もあった。ユダヤ人だったアンネ・フランクの庭があっても不思議ではない、と納得した。
のちにアムステルダムのアンネの見ていたマロニエを移植した公園と知り、あの時ぽっーと見ていたマロニエの花はアンネの見ていたマロニエの花だったかもしれないと、勝手に思い込んでいる。
アンネ・フランクの庭は本当に素晴らしいブラインド・パークである。
アンネ・フランクの庭
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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