坂井宏之さんのクレープ・シュゼット

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クレープ・シュゼット.jpg
 テレビ朝日の公開ホールとしてつくられたEXシアターの前に、金谷ホテル・マンションがあった。
1971年に日光金谷ホテルのオーナー金谷鮮治が、東京の接待所としてつくったのが「西洋膳所ジョン・カナヤ」である。
 そこの初代シェフが29才の坂井宏之さんだった。 今では当たり前になったフレンチを小皿料理にして提供したはしりのレストランである。膳所と呼ぶにふさわしい瀟洒な内装と落ち着いたサービスが、パリの会員制レストランのような雰囲気をかもしていた。
 筆者の事務所は、金谷ホテル・マンションの7階と10階にあった。
 重要なお客様の接待に度々使わせていただいたのが、2階のジョン・カナヤだ。料理の達人として有名になる前の坂井シェフだったが、かなり口の奢った客をつれていっても、例外なく喜こばれた。挨拶にでてきたシェフもクシャとした笑顔で礼儀ただしく答えてくれた。
 料理は勿論のこと、筆者のベスト・ワンは、デザートに坂井シェフのつくる「クレープ・シュゼット」だった。ワゴンの上にはオレンジの山とグラン・マルニエ、コワントロー、キルシュ、ナポレオン等が並び、すりおろしたオレンジの皮とフランベされたコニャックの香りに、これが大人の味わいだと教えられた。仕事に疲れた時、10階から2階へ降りて行って時間外の「クレープ・シュゼット」で癒されたこともあった。
 時移り、坂井シェフはフレンチの鉄人と化し、ジョン・カナヤも箱根に引っ越してしまった。
 その頃銀座二丁目に芦屋から「アンリ・シャルバンティエ」という名の洋菓子店が上京した。アンリ・シャルバンティエとは、かの「クレープ・シュゼット」を創作したフランス人の名。エドワード7世とその恋人シュゼットのためにアンリ・シャルバンティエが作ったのが、クレープ・シュゼットだ。
 そのシャルバンティエの名を名乗るサロンに「クレープ・シュゼット」のメニューがあるというので、銀座に足をむけた。 立派なブックレットには当店の名品とあった。たおやかな女性が出てきて眼の前でサービスしてくれたのだが、あまりのお粗末さに愕然とした。芦屋でこんなインチキを通用させ、銀座に上京してきたとは。フランスを馬鹿にしているのか、日本人を馬鹿にしているのか、それともクレープ・シュゼットをなめているのか。
 その名が眼に入るたびごとに「坂井宏之さんのクレープ・シュゼット」をもう一度たべたいと、唾をのんでいる。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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