北京オリンピック2022開会式を観た。
素晴らしかった。無駄がなかった。必要最小限のテクニックと登場人物で開会式のコンセプトを表現していた。
導入部はプロジェクション・マッピング、レーザー、LED、ドローンなどの技術を駆使、雪のオリンピックに相応しい環境と春への期待をこめた簡潔な表現、各国選手団の入場を挟んで、後半はスポーツ選手と子供たちと普通の人々で構成された。
総監督のチャン・イーモウは、恐らく東京オリンピックの開会式を観て、苦々しく感じたのだろう。
日本人はスポーツのカタルシスと、芸能のカタルシスはまったく別物であるということが判っていない。だから東京では芸人もダンサーも貧尺な役者もミソクソ一緒になってスポーツの祭典の開会式に登場してきた。漫画の吹き出しに国名を書き、アニメの音楽で世界の選手を迎えた。そんな失礼なことはない。あの東京五輪の開会式を全否定して、北京五輪の開会式が成立している。
安っぽい芸人に歌を歌わせず、タレントに下手な芝居はさせず、伝統の切り売りもなく、清純な子供たちの歌声とスポーツ・レジェンドと普通の人々の集積で祭典をつむいだ。映像についてはチヤン・イーモウ自家薬籠のものだ。
狂言師も振付家も政治家も電通も、東京五輪に関わったスタッフはみな頭を丸めたら如何。不明を恥じ、スポーツを学び直してほしい。
ベルリン、ベネチィア、カンヌと世界の映画祭で尊敬されているチャン・イーモウはさすが踏み外さなかった。
「秋菊の物語」から中国国内で上映禁止になった「活きる」、そして「初恋のきた道」とたどつて円熟をましたチャン・イーモウ監督にお祝いをいいたい。
開会式のあいだ、モンゴル、香港、新疆ウィグル自治区の暗黒を忘れさせてくれた。
北京五輪2022開会式
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す