野沢温泉道祖神祭を心配する

by

in

野沢温泉道祖神まつり.jpg
 小正月になるといつも思い出すのは野沢温泉の道祖神祭だ。
 村のホテル住吉屋の先代がお元気の頃、何年か続けてお邪魔していた。そんなにも大きくない旅館が、村のホテルと称したのが、なんとも嬉しかった。先代はメディアの仕事から野沢に帰って家業の旅館を継いだ。ときに明日、道祖神祭の社殿のブナの切り出しに行くので参加しませんか、とお誘いを受け野沢組の人々に加わって、山にはいったこともあった。
 雪の降りしきる厳冬の祭場で、社殿が炎に包まれ、何本か奉納されていた初灯篭も倒され、さっきまでの村人たちの狂騒が嘘のように無くなり、静かな祭場にボーとたたずんでいたこともあった。足元はカチカチのアイスバーンになり、雪が音もなく斜めによこぎっていた。カメラを抱え、転ばないようにようやく住吉屋に戻ると、御主人が笑顔でむかえてくれ、差し出された蒸しタオルが有難かった。 いい写真撮れましたか、その温かさが忘れられず何年か野沢温泉村に足を運んだ。
 厄年の男と男がぶつかり合うあのダイナミックな野沢の道祖神祭…コロナの下で無事開かれているだろうか。マスクをかけていてはあの火祭りは無理だろう。男と男が松明をかざしての攻防は密にならなければ、エネルギーは点火しないだろう。社殿の上に登る厄男たちは密になることが肝要だ。取り囲んだ4000人の観客もみな心をひとつにして祭りに参加するのだ。……こんな風に考えてくると、あの空前のスケールの道祖神祭は
開ける筈がない。それでも野沢組の情熱は祭りをしているのかも。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ