小豆とあんことお汁粉と

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 戦災にあった黒門町のうさぎやが、西荻窪・東京女子大のそばに仮店をだしていたことがあった。 
 二間足らずの間口を入ると、ガラス・ケースに「どらやき」だけが控え目におかれていた。
 高校生の筆者は、うさぎやの由縁も知らず「どらやき」の極みも理解できていなかつたが、その構えからただならぬ気配を感じ、ままうさぎやの「どらやき」を買い求め、試験のあとのご褒美にしていた。
 爾来、旅先でどらやきが眼につくようになった。
 加賀金沢の森八では「夢香山」、福井松岡軒の「羽二重どら焼」、宮崎金城堂の「どらやき」、いろいろと食べたが学生時代におぼえたうさぎやの味が忘れられない。小豆を炊いて砂糖を加え練っただけの単純なあんこに、なぜこんなにも違いがでるのか不思議である。
 想いは正月の汁粉に飛ぶ。
 おなじ小豆でもこちらは雪景色に似合う。寒さに食べると身も心も温まる。
 鏡餅を割って汁粉にいれた一椀は、祝い事の総仕上げである。
 芥川龍之介と久保田万太郎は「あれは食うものか、飲むものか」真剣に云い争ったと言われるが、いずれにしても日本の食材のなかで「小豆」ほど重要な位置をしめるものはない。
 子供が生まれた時、少女が大人になった時、無事学校に入った時、成人の時、嫁入りの時、いつも母親は小豆をいれた赤飯をたいてきた。小豆は祝祭のシンボルなのだ。
 小豆はあんこになり、菓子をつくり、ぜんざいを創り、しるこをつくる。あんこは日本人の味覚の真ん中にある。
 あんこのない正月は寂しい、汁粉屋のないにほんの町に味覚はない。
 本郷の 汁粉屋の混む 一葉忌       岩崎眉乃


コメント

1件のフィードバック

  1. お汁粉の甘さとあの温かさ、お椀を顔に近づけた時の小豆のほんのりとした香り。
    今風に言うならば「癒しの甘味」の代表です。
    どら焼きもお汁粉もいただく時に感じる幸せは、苺が乗った生クリームたっぷりのショートケーキをいただく時の幸せと格段に違うのはなぜかしら。日本の甘味文化の代表「小豆あん」を大事にしましょう!

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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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