27万の国民投票でようやく独立派という名の中国から、ニューカレドニアは逃れた。
独立後、3回の国民投票で帰趨を決めるという約束通り、ニューカレドニアはさきごろ3回目の国民投票を実施、フランス残留を決めた。
中国が特別の肩入れをしていた独立派は、投票ポイコットを叫び、挙句の果ては国連に国民投票の無効を訴えている。
オーストラリアの東にあるこの小さな国は、中国としてどうしても軍港をつくりたかった島なのだ。経済的に独立出来ない小国は、一帯一路を掲げる中国にとってなによりのカモで、過剰な金を貸し付け返済不能に陥れて、権益を奪うという拡張主義のカモであり、インド・アフリカの小国はみなこのトリックにひっかかっている。
プチ・フランスと呼ばれるニューカレドニアには、パリのプチトラムと同じ、可愛いプチ・トレインが走り、首都ヌメアにはパンや、チョコレート、マカロンがあふれている。
文化センターは銀座エルメスに同じ、レンゾ・ピアノ設計になる前衛的な建物だし、西海岸のヴォーにはハート型のマングローブの林がある。モーゼル湾のヨットハーバーはノルマンディのハーバーにそっくり、南太平洋のフランスと呼ぶにふさわしい。中国がちょっかいを出すのは100年早いと云いたい。鯨も最南端のプロニーへ来て子育てをしている。先住民族カナックとフランス文化が仲良く調和の世界を作り出している「天国にいちばん近い島」なのだ。
フランスから独立しなくて本当によかった、と祝福したい。
中国の毒牙から逃れたニューカレドニア
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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