ピカチュウになった反日JK

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 イギリス・グラスゴーで開かれた気候変動会議COP26に、日本の高校生JKが徒党を組んでデモをやった。呆れたことにピカチュウの縫いぐるみを被って、日本の高校生のオツムの悪さを全世界に向かって発信した。CO2の教祖グレタさんもやって来るというので、意気揚々とグラスゴーに乗り込んだのだろう。
 その上、気候変動に取り組むNGOネットワーク、CANインターナショナルから「日本への化石賞」が発表されたので、ますます図にのり日本を貶める活動に邁進した。
 少し冷静に考えれば理解できることだが、反対運動をするならまず第一の標的は中国の筈だ。現在CO2の排泄量世界一は中国の30%、日本は中国の十分の一 3.2%にすぎない。「日本はもう石油を使わないで!」とプラカードを掲げてのピカチューだったが、何故中国をやり玉にあげないで僅かばかりの日本を標的にするのか理解に苦しむ。
 CANもピカチューも、何処かの国に操られているとしか見えない。
 日本の石炭火力による発電のCO2排出量は、世界の技術者が驚くほど抑制され、世界一の技術をほこっている。 この僅かばかりの石炭を仇にするのは、日本のエネルギー生産量を徹底的にたたき、日本の産業を壊滅に導く恐るべき陰謀にほかならない。
 いまや日本中どこに行っても引き詰められた太陽光パネルは、おおかた中国製である。レジ袋有料化の小泉某が大声を上げていたEV自動車もリチウムイオン電池の原材料はすべて中国におさえられている。日本人の550万人が生産に従事している日本の自動車産業を危機に落し入れ、脱炭素を掲げる反日日本人の多さにはあきれる。エネルギーの分散多角化を考えることこそが、日本の生きていける道なのだ。
 JKだから純粋な活動と思ったらとんでもない、必要経費はどこかの国からか、ひそかに来ていると勘ぐりたくもなる。 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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