大坂なおみと大谷翔平

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 大坂なおみは、いま世界中のスポーツ・ジャーリストからたたかれている。 
 大坂は昨シーズンほとんどの期間、泣き言をいったり、コート上でラケットを壊したり、調子の悪い自分の責任を棚に上げて、メディアのせいにしてきた。
 英国の人気スポーツ・ジャーナリスト ピアーズ・モーガンは、ミス大坂はオベッカ使いの雑誌記者としかつきあえないし、「彼女は傲慢で甘やかされたガキ」にすぎない、と一刀両断にしている。
 彼女を有難がったのは、オリンピック東京2020と、金持ちたちの偽善イベントNYメトロポリタン美術館に於けるメット・ガラ位のものだ。
彼女はルイ・ヴィトンの奇抜な趣味の悪いドレスを着て、自慢げにパレードした。彼女はもはや品位を要求されるテニス・プレーヤーと言うより、雑誌の水着モデルという職業がふさわしい、と論じている。
 一方西海岸エンゼルスの大谷翔平の評判は、うなぎ登りだ。
 敬遠続きの打席でもふてくされることなく、いつも笑みをたたえ精一杯のプレーをする大谷に全米の野球ファンが興奮している。
 本塁打王には届かなかったが、彼の真摯なプレイ態度がアメリカ人のハートを鷲掴みにした。バリーボンズは、彼のような選手は今後現れないだろう。もしトラウトがケガをせず大谷の後に控えていたら、敬遠もなく今頃は60本の本塁打を打っていたことだろう。
 エンゼルスのペリー・ミナシアンGMは、唯一無二、まるで魔法のような大谷翔平だったと、絶賛している。
 大坂なおみと大谷翔平、この二人のアスリートはいろいろな問題を提起している。多様性だから個人の問題でかたずけていいのだろうか。教育道徳など、日本人として解決しなければならない問題があるような気がする。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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