AMラジオの終り

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 遂に中波のラジオ放送が消えることになった。
 民間放送の始まりからかかわってきたものにとっては、少しばかりの感傷をもつ。
 かってラジオ局には、広いスタジオが必ずあった。TBSはスタジオが出来るまで、有楽町駅前にあったプラネタリウムをつかっていた。文化放送の一番広いスタジオは、教会と兼用だった。
 その広い空間で、ドラマを創っていた。
 中心となっていたのは、俳優群だった。主役の何人かが使うマイクと脇役たちが使うマイク、スタジオの半分には指揮者とオーケストラが陣取っていた。そして一隅には音響効果のスタッフ、登場人物の靴の音から風の音、電車の音、海の波音まですべてスタジオで創っていた。それをまとめるのが、副調室と呼ばれるガラス窓のこちらにいるミクサーとディレクターだった。
 いつの間にか、ラジオ局の広いスタジオは無用の長物にかわった。
 FMが登場してからは、レコードを回して無駄話をするというスタイルが、はばを効かせるようになった。金のかかるドラマ制作など経営者にとって危険なプログラムになったのだ。
 ドラマだけではなく、音楽の生演奏も、朗読も、ドキュメントもとにかく手間暇と金のかかるものは次々と消え、遂にAMラジオそのものがきえさることになったのだ。
 経済のまえにラジオ文化はあえなく敗退してしまった。
   


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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