入れ墨だらけのオリンピック

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 書き忘れていたが、東京2020で驚いたことがある。
 選手たちの刺青の多いこと。不幸にして行動制限、無観客だったため町中でのトラブルは避けられたが、あの刺青選手たちが野放しで町に出掛けたら、温泉やらサウナやら、スーパー銭湯など多くのオモテナシ施設が困惑していたことだろう。
 GHQが戦後、刺青を許可したにもかかわらず、にほんの社会では刺青は市民権をえていなかった。 タツーは刺青とは違うとか、ファッションだとか言い張る一部の人はいるが、そんな言訳は通用しない。
 現に刺青ものは公務員や自衛官にはなりにくいし、教員としてもふさわしくない。全日本柔道連盟では出場禁止だし、相撲協会も刺青禁止をうちだしている。
 古墳時代から鯨面埴輪など存在したし、海の仕事に関わる人は、海難を避ける呪術として、また個体識別の目的で刺青をしてきた。
 阿弥陀様を身体に彫った山岳仏教、経文を身体に彫った「耳なし芳一」の例もあるが、江戸幕府は犯罪人の識別に入れ墨刑を課したし、遊郭では遊女が馴染み客への誓いとして陰部近くに○○命とか、恋する人の名前を彫ったといわれている。
 明治維新により、刺青は全面的に禁止された。博徒、火消し、鳶、飛脚などにあった刺青の文化は否定され、わずかに谷崎潤一郎の「刺青」や江戸川乱歩の「黒蜥蜴」などに性的装飾として登場していた。
 アメリカやヨーロッパにおいても知識階級や上流階級においては刺青は歓迎されていない。
 おおむね喜んで刺青をいれているのは、芸能ヤクザか、下層階級に限られる。スポーツ選手がどのクラスに属するのか、理解に苦しむが、刺青の氾濫は歓迎すべきことではないのは確かである。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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