韓流芸人になり損ねた日本娘

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 K popとやらに憧れ、目出度くオーディションも通り、海をわたってソールにいったけど、思惑違いですべてがうまくいかず、帰国のすえに裁判沙汰というリアルな喜劇のリポートである。
 まず第一の疑問は、Sky Girls と名乗ってデビューしたあなた達は本当に日本人なの? という質問である。
 ルナ、サヤ、カリーナ 名前を見ただけでは日本人とも思えず、どこから来たの、という疑問がのこる。
 裁判の発起理由に、セクハラ、パワハラ、給料なし、といわれていますが、初めから手厚い待遇で、韓流芸能人になれると思っていたんですか? 韓流芸能人の自殺騒ぎや事務所トラブルは数多く報道されていますが、そうした情報には眼と耳をふさいできたんですか?
 反対に芸能活動の債務不履行と、ダイエットの管理不履行を韓国側事務所からいわれていますが、コマーシャルなどの契約時と同じく、体重管理などへの条件は厳しく、タレントとして当然の義務と考えなかったのですか。 
 逆に事務所から1500万円の賠償費を要求されているそうですが、渡航費、宿泊費、トレーニング費、デビューシングル製作費、交通費、生活費、衣裳費、宣伝費など、要求されて当然とは考えなかったのですか。芸能プロは慈善団体ではなく営利団体なのだ、という認識はなかったのですか。
 何故あなた達は日本人なのに、韓流ポップスからデビューしたかったのか、その理由はどうしても理解できません。
 韓国人になる覚悟もなく、早々に退所して帰国とは、弁護したくとも弁護できにくいのです。
 日本のテレビで放映していたから絶対安全と考えたら大間違いです。反分以上は嘘だと思ってください。テレビはなんの責任ももたないメディアですから。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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