韓国嫌いの日本人が増えたTOKYO2020

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 東京五輪2020では多くの「韓国嫌いの日本人」を生み出した。
 ニジュー大好きの若者まで、韓国の人はどうしてあんなに反日キャンペーンをやるんですか、と疑問を口にしていた。あれでは五輪反対の共産党や立憲民主と同じではないですか、といっていたのは友人の息子である。
「そんなに嫌なら、五輪に参加しなければいいのに」多くの日本人にはそう映った。
 開幕直前、韓国は選手村にはいるやいなや反日横断幕を掲げた。国際オリンピック委員会から撤去を要請されると、変わって反日のアムール虎の垂れ幕をかかげた。
 韓国はかなり前から各国のオリンピック委員会に、日本食材の放射能汚染を訴え、自国ごとの選手食堂をつくることを訴えていたが、それが失敗すると、今度は自分たちだけの給食センターをつくり、、食材の放射線検査をこれみよがしに報道した。もっとも韓国選手が共通の選手村センター食堂で、これは美味いと食べていたという笑い話もある。
 そして競技がはじまると、次はメダリストに贈られるヴィクトリー・ブーケにケチをつけた。ブーケは福島産のトルコキキョウ、宮城のヒマワリ、岩手産のリンドウでつくられていたが、「メダルをとれば、福島の花束、放射能汚染の危険がある」と不安をあおった。
 すべては韓国政府の方針と大韓体育会の煽動によるものだが、この現実を目の前にして日本人の韓国嫌いがますます増えたことだけは確かな事実だ。
 百田尚樹さんではないが、「お隣の韓国とは付き合わない」のがもっとも賢明な生き方なのだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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